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パトリオット (プロレスラー) : ミニ英和和英辞書
パトリオット (プロレスラー)[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

パトリオット (プロレスラー) : ウィキペディア日本語版
パトリオット (プロレスラー)[ちょうおん]

パトリオットPatriot英語発音に忠実に「ペイトリオット」「ペトリオット」と呼ぶ場合もある。また、定冠詞の「ザ(The)」を頭に付けて呼ばれる場合もある。全日本プロレスでは「パトリオット」の表記で統一されていた。〕、1961年12月21日 - )は、アメリカ合衆国覆面レスラー。本名はデル・ウィルクスDel Wilkes)。サウスカロライナ州コロンビア出身。
なお現在までに、同名のリングネームを名乗ったレスラーが3名〔最初にパトリオットを名乗ったボビー・ハートと以後に登場した2名の関連性が不明で、コスチューム等もボビー・ハートのものだけ異なるため、「初代・2代・3代目」といった表現は本項では用いていない。〕確認されている。通常「パトリオット」といえば、その多くの場合は1990年代全日本プロレスを主戦場に活動していたデル・ウィルクスを指すため、本項ではウィルクス扮するパトリオットについて記述する(詳細は後述)。
== 来歴 ==
1988年、末期のAWAにおいて素顔の警備員ギミックベビーフェイスザ・トルーパーThe Trooper)のリングネームでデビュー。ラリー・ズビスコマイク・ジョージらベテラン勢と対戦してキャリアを積み、1990年8月11日にはD・J・ピーターソンと組んでデストラクション・クルー(ウェイン・ブルーム&マイク・イーノス)を破りAWA世界タッグ王座を獲得。翌1991年にAWAが活動を停止したため、結果的に彼らが最後のAWA世界タッグ王者チームとなった。1990年にはトルーパーとして全日本プロレスに初来日している。
その後、覆面レスラーパトリオットに変身し、1992年5月に全日本プロレスに参戦。星条旗を基調としたド派手なマスクコスチュームビルドアップされた長身で筋骨隆々の肉体、そしてそれから繰り出されるパワフルかつスピーディーで跳躍力あふれる迫力ファイトなどで、常連外国人選手となる。小橋健太とも「日米新世代ミサイルタッグ」を結成し、アジアタッグ王座挑戦や世界最強タッグ決定リーグ戦参戦が視野に入るほどの人気を得た。しかし、同年末の最強タッグには全日本側の都合により、このタッグチームでの参加は実現しなかった。そこで新パートナーとして、自身と同じ星条旗基調のコスチュームを身に付けた覆面レスラーのジ・イーグルと覆面愛国者コンビを結成し、リーグ戦に参加した。
リーグ戦では優勝を逃したが、イーグルとのコンビネーションが好評だったため、翌1993年6月2日に小橋健太&菊地毅の保持するアジアタッグ選手権に挑戦、勝利を収め第60代の王者チームとなる。9月9日にカンナム・エクスプレスダグ・ファーナス&ダニー・クロファット)に敗れ王座から陥落するが、翌年のリーグ戦にもイーグルとのタッグで出場した。
1994年WCWへ移籍。マーカス・バグウェルと「スターズ・アンド・ストライプスStars and Stripes)」を結成し、プリティ・ワンダフル(ポール・オーンドーフ&ポール・ローマ)からWCW世界タッグ王座を2度に渡って奪取した。
1995年、再び全日本プロレスを主戦場とする。7月に行われた三冠ヘビー級王座挑戦者決定リーグ戦に、田上明、小橋健太、ジョニー・エースと共に参加。挑戦権を獲得することはできなかったが、小橋からスカイハイ・パワーボムでピンフォール勝ちし、シングル・プレーヤーとしての成長を見せた。8月30日には、ジョニー・エースとのコンビで田上明&川田利明の保持する世界タッグ王座に初挑戦するも敗退。同コンビで同年末の世界最強タッグ決定リーグ戦にも出場し、第4位となる。
1996年には、超世代軍を脱退した小橋健太と数年ぶりにタッグを再結成する。10月12日にスティーブ・ウィリアムス&ジョニー・エースの「殺人狼」が保持する世界タッグ選手権に挑戦したが敗退。同年末の世界最強タッグ決定リーグ戦にも同タッグで出場、1点差で優勝を逃し、第3位となる。
1997年5月には、このコンビに2人と同世代であるジョニー・エースを加えたトリオで新チーム「グローバル・エネルギッシュ・タフGET)」を結成した。結成最初のシリーズでは小橋とエースのコンビが世界タッグ王座を獲得したが、翌シリーズにパトリオットは負傷により欠場。欠場中にアメリカのWWF(現・WWE)への移籍を発表した〔WWFへの移籍直前に行われたインタビューでは、日本での活動も魅力的だったが、長期間海外に遠征する事で子供達との交流が出来ず、教育上良くないと思いWWFに移籍したと発言している〕。
WWFでは当時ヒールに転向していたブレット・ハートとの「アメリカ対カナダ」の抗争アングルが組まれるが、負傷欠場を繰り返し解雇され、体調の回復が困難なことからレスラー活動を停止している。
その後、トム・ブランディにパトリオットのキャラクターを譲り渡し、彼がアメリカのインディー団体でパトリオットとして活動していた時期がある(後述)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「パトリオット (プロレスラー)」の詳細全文を読む




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